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クリシュナが衣を盗むリーラーの日

今日は、クリシュナを愛するヴリンダーヴァンのゴーピーたちが、「クリシュナが私の夫となりますように」という祈りをドゥルガー女神(カーティヤーヤーニー女神)に一か月間ささげ続けるという誓いの修行に入り、その一か月の誓戒の行が満行し、その果報として、クリシュナが現れて彼女たちの衣を盗むという一連のリーラーが展開された日だとされています。

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 そのような一ヶ月の誓戒の行が終了する満月の日の朝、彼女たちはいつものように河に到着すると、衣を岸辺に脱ぎ捨てて、クリシュナを賛美しながら、楽しくその水の中で遊び戯れたのでした。
 クリシュナはそれを知ると、彼女たちの礼拝に報いるために、仲間とともにその場所に向かいました。
 そして岸辺に到着すると、クリシュナは岸辺に脱ぎ捨ててあった乙女たちの衣をすべて集めて、急いでカダンバの樹の上にのぼり、乙女たちをからかうようにこう言いました。

「さあ、あなたたち、ここまでやってきて、自分の服を取るといいよ。僕は決して冗談を言っているわけじゃないんだ。あなたたちは誓いの行のせいで、疲れ切っているのだから。
 僕は真実しか言わない。だから、細い腰をしたあなたたちよ、一人ずつか、または全員一緒に、自分たちの服をここまで取りに来なさい!」

 このようなクリシュナのいたずらを目にすると、ゴーピーたちは愛の思いに圧倒されてしまい、顔を赤らめて互いに見つめ合うと、思わず笑い出しそうになりました。しかし彼女たちは裸で水から出るのが恥ずかしかったので、河から上がろうとはしませんでした。

 しかししばらく冷たい水に首までつかっていたため、彼女たちの体は冷え切ってしまい、どうか早く服を返して下さるようにと、クリシュナに懇願しました。しかしクリシュナはこう言いました。

「もしあなたたちが僕のしもべであって、僕の命令を何でも聞くのなら、さあ、唇に笑みを浮かべて、ここまで来て、僕から衣を受け取りなさい!」

 そこで乙女たちは、掌で局部を隠して、寒さに震えて身を縮めながら、河から上がってきました。

 乙女たちが寒さと恥ずかしさのあまりに死んだようになりながらもクリシュナの命令を実行したのを見て、クリシュナはその純粋な心を喜んで、微笑みながら、次のように言いました。

「あなたたちは誓いを守ろうとしたのに、服を着ないでヤムナー河に浸かった。これは水の神への冒涜なんだ。だからその罪を償うため、あなたたちは頭の上で両手を合わせて、大地にひれふした後で、僕から衣を受け取るのです。」

 ゴーピーたちは、自分たちが誓いへの冒涜を知らぬうちに犯していたと悟り、その罪を償い誓いを完成させるために、言われたとおりに、真っ裸のまま両手を頭の上で合わせて、クリシュナに向かって地にひれ伏して礼拝したのでした。なぜならクリシュナこそが、自分たちの罪をすべて洗い流せるお方であると、彼女たちは信じていたからです。

 クリシュナは、ゴーピーたちが素直に自分の指示通りに礼拝したのを見て大変喜び、彼女たちに衣を返したのでした。

 このように羞恥心を奪われるようなことをされても、彼女たちはクリシュナのことを悪くは思いませんでした。愛するクリシュナと一緒にいられること自体に、彼女たちは非常な幸福を覚えていたからです。

 自分たちの衣をそれぞれ身につけると、彼女たちは恥ずかしそうにクリシュナを見つめて、最愛の主と会えたことにうっとりしてしまいました。そしてあまりにも強く心をクリシュナに魅了されたために、その場から動くことができなかったのです。  

 クリシュナは彼女たちに言いました。
「ああ、汚れなき乙女たちよ。あなたたちが僕をあがめたいと願っていることを、僕は知っています。そしてそのことは僕も歓迎するゆえ、必ずかなえてあげましょう。
 焼かれた種は二度と芽を出すことがないように、僕に心をささげた人が、その後で輪廻の楽しみを求めようとしたとしても、その人の心はもう二度と輪廻の楽しみには向かわないのです。
 ああ、汚れなき貴女たち、もうヴラジャにお帰りなさい。あなたたちはもはや目的を遂げられたのです。やがて来る秋の夜、僕はあなたたちとともに遊戯を行なうでしょう。ああ、徳高き乙女たちよ。あなたたちはそのために、今まで女神をあがめて、誓いを守ってこられたのですから。」

 自分たちの願いをかなえられたことを知った乙女たちは、主の蓮華の御足を思いながら、幸せそうにヴラジャへと帰って行ったのでした。

 

※注・・・このエピソードの中で、衣とは、主と自分を引き離す偽りの自己を象徴し、局部とは、「自分」という思い、自尊心を象徴している。
 それら「主と自分を引き離す偽りの自己」を捨て、すべてを主の前にさらけ出し、裸の心で主に礼拝すべし、という意味が込められているといわれています。

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