yoga school kailas

まとまりのない話、つれづれ

 以下の内容は、心に浮かんだことを、全くまとまらない形で(まとめようとしないで)、覚え書き程度に書いたことなので、全くわけがわからないかもしれませんが笑、もしかするとインスピレーションを受ける人もいるかもしれないので、そのまま載せてみます。

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 ・・・そんなことは当たり前のことであってね、しかしそれはぼんやりとさせられているものにとってはわからない。まずわからないのだ、という理解が必要だ。

 その上で、感情的にならずに、法によってものを見ないと、そのぼんやりとした領域に引きずり下ろされてしまい、何をやっているのかわからなくなってしまう。

 バガヴァッド・ギーターの戦士とか、昔の日本の武士道とか、
 そういう意識を、我々は取り戻さなければいけない。

 チューギャム・トゥルンパもそのようなことを言っていたが、我々はある意味、戦士にならなければならない。

 誤解を恐れずに言えば、そこにおいては自己の利益よりも義が重んじられる。いや、これは、そうしろといっているのではなくて、一つの例だ。

 現代人がとても大事だと思っているいろいろなものよりも、もっと大事なものが、いろいろあるのだ。

 それは今の時代では気づきにくい。いや、気づきにくくさせられているのだろう。

 バガヴァッド・ギーターは、そういう意味ではすばらしい書だ。あれには多くのヒントがある。しかし多くの人は、ちょっとしたインドや欧米のヨーガの先生なんかがこじつけた、ヨーガの精神論的な解釈で満足してしまっているだろう。あれはそんなものではない。
 
 ただ私はもちろん、神の意に従う、神の祝福を受ける、神の示唆を読み取ることが、一番大事だと思う。
 その上であえて言うならば、今の時代のリーダーには、冷静で明晰な知性と、熱い情熱が必要だ。
 
 そして、忘れないことが必要だ。
 神と心があったときのあの感覚を。
 意識が引きあがったときのあの感覚を。

 ぼんやりしたものに引きずり込まれないようにしながら。

 ほとんどはぼんやりしていて、浅い。自分は高く上昇しつつ、そのぼんやりしたものをコントロールしなければならない。

 でもわたしはそんなに知性的な方ではないので、やはり神の道具となることを選ぶだろう。
 神の道具として、一生懸命修行するだろう。

 そうすると、徐々にいろいろと気づかされてくるのだ。

 見解を上げる。
 観念を壊す。
 それができる人は、わずかだが、いる。
 あなたもその一人であることを、願う。

 意外に思うかもしれないが、一番大事なことは、結構単純なことで、
 毎日、決めた修行を、こつこつとこなすことだ。
 師がいるなら師の指示に従うといい。
 ヨーガや仏教の修行というのは、表面的なことを超えた、予想以上の力があるのだ。

 人は生まれ、老い、死ぬ。一瞬のうちに。
 この一瞬の出会いの中で
 出会った皆のためにできることは何か
 私は神の道具として生きる道を選ぶ。

 プライドによって他を批判するとか、
 感情的になって何かを守ろうとするとか、
 そういう意味では、そんなことは、本当にくだらない、下の下の話なんだよ。
 全くお話にもならない、時間の無駄だ。
 まず意識を高く持つことからすべては始まるので
 心の浄化と、意識の引き上げに、全力を尽くそう。

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