yoga school kailas

「解説『松川慧照エッセイ集1 ただ今日、なすべきことを』」第一回(1)

2008・1・6

解説「松川慧照エッセイ集1『ただ今日、なすべきことを』」第一回

 はい、今日は『ただ今日、なすべきことを』っていう新しい本ですが、これはインターネットの日記のうち、まあシリーズものとか抜いて、なんていうかな、軽く書いたやつをまとめたやつですね。
 これは、堅苦しくなくちょっと軽く書いたものを集めてあるので、まあいつもの経典の勉強会よりは、まあちょっと軽い感じでね、学べるかなと思います。
 
 はい、じゃあちょっと読んでいきましょうね。

【本文】

しわ

 この宇宙は一枚の巨大な神聖な布である。
 わたしたちはその布にできた細かな「しわ」の一つ一つに過ぎない。
 わたしたちはその「しわ」の一つに「わたし」という感覚を抱いて執着してしまっている。
 「しわ」という屈折を元に戻したとき、無限に広がる布の全体に気づき、「なんだ、すべては一つだったのか」と気づくのだ。

 はい、これはあの、この宇宙の実相を表わす例え話って、いろいろあるわけですね。で、いろんなのが、まああるわけだけど。あの、この「しわ」っていうのは、わたしがちょっとこう、まあ思いついたっていうか、あの、直感的に閃いた一つの例えだね。これはとてもいい例えだと思います。われながらね(笑)。
 つまりここに書いてあるとおり、まあ、これももちろん例えなわけだけど、あの、この宇宙っていうのはもともと一枚なんだと。つまり、いくつもいろんなものがあるんじゃなくて、ただの本当に一枚の布なんだと。で、それは、なんの力も与えられない状態では本当にきれいな一枚の布なんだが、それが今いろんな力が与えられて、しわくちゃになってるわけですね。で、そのしわくちゃの小さなそのしわの一つ一つに対して、われわれは自我を持っちゃってるんだね。「あっ、これがおれである」と。「これがわたしである」と。でもよーくその全体像を見ると、あれっ? すべては繋がっていて、すべてはもともと一つであって、そのすべては一つの中に生じた、ある――まあ、なんていうかな、動きっていうか、ある、まあそれがわれわれのカルマなんだけど、仏教的にいうと縁起の流れなんだけど、それにわたしっていう錯覚を持ってしまってるのがわれわれなんだよっていうことですね。
 だからこれは、あの、なんていうかな、完全にその「しわ」がなくなるのは、はるかその先かもしれないけども、今の時点でわれわれがその全体性に気付くことができれば、まあ自我意識みたいなものからは解放されますよってことですね。
 
 はい、これについて何か質問ありますか? はい、じゃあ次の話。これはちょっと一つ一つが短いからいいね。あの、なんていうか、パッパッパッて進んでいける。じゃあ次。

share

  • Twitterにシェアする
  • Facebookにシェアする
  • Lineにシェアする