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「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第四回(4)

 はい、そして、「ある国のすべての人々を殺し、すべての財産を奪うことよりも、菩薩を非難することの方が、はるかにその罪は重い」と。ここで今度は非難というのが出てきますが、非難っていうのはこれも今言った、まず非難するという心の働きによって、あるいはその非難という行為によって、自分が聖なるものからどんどんベクトルがズレていくっていうのが一つあるね。
 で、もう一つはこの非難に関しては――もちろんね、菩薩自体は非難されてもなんとも思わないでしょう。しかし非難することによって、もしその菩薩にもしかするとついていって教えを受けたかもしれない人たちが離れるかもしれないよね。あるいは菩薩の教えっていうか救済活動が、それによって停滞するかもしれないよね、その非難によってね。そのような実利的なっていうか、実際的な悪業もありますよね。
 だから、ここに書かれてることは、そういう意味でいうと三つ今出てきたね。三つあると考えてください。一つは、菩薩へのいろんな障害っていうかな、何か害を与えることによって、それが偉大なね、スケールのある、あるいは偉大な、透明で光の強い菩薩から倍加されて返ってきちゃいますよっていうのが一つ。
 で、もう一つは、菩薩に対して悪い思いを抱いたりすることによって、ベクトルが聖なるものとずれるので、どんどん魔的な方向、闇の方向に行ってしまいますよっていうのが二つ目。
 で、三つ目はもうちょっと現実的な問題で、つまり菩薩のことを悪く言ったりすることで、それを聞いた人たちが、聖なる道から外れてってしまうかもしれないっていう現実的な悪業ですね。この三つのポイントがあると思います。

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