「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第五回(6)
【本文】
多学神通行の菩薩とは、あまり道には迷わないが、ある程度時間がかかって目的地に到達する旅人にたとえられる。
このような性質を持つ人は、菩提心を生じて大乗に従い、大乗を信じ理解し、大乗の経典を読み、大乗の菩薩を尊敬する。彼はまた自ら大乗を求め、あまねく具足する。彼はまた命がけで大乗の菩薩を讃嘆し、心から敬い、供養する。また、まだ未熟な菩薩に対しても軽蔑しない。このような人が、多学神通行の菩薩である。
はい。はい、「多学神通行」と呼ばれる存在っていうのは、その前の段階と比べてね、そんなに道には迷わないと。しかしそんなにスピーディーに到達するわけでもないという状態ですね。
はい。これはその、これだけ読むと、「ああ、そうなんだ」って感じなんで、そのあとの部分――だから逆にいうとわれわれはこのような性質を身に付けることで、そのようなね、あまり道に迷わず到達できるようになるんですよっていうふうに読んだ方がいいね、ここはね。
それは何かっていうと、まず「菩提心を生じて大乗に従い、大乗を信じ理解し、大乗の経典を読み、大乗の菩薩を尊敬する」と。「彼はまた大乗を求め、あまねく具足する」と。はい。あの、ここはちょっとまとめて、整理して言うならば、まずわれわれはしっかりと、もちろん菩薩の――皆さんにね、提供してるような『入菩提行論』やこの『スートラ・サムッチャヤ』、『シクチャー・サムッチャヤ』をはじめとした菩薩道の教えをしっかりと学び、あるいは理解し、で、それを実践すると。そして求めると。つまりしっかりと求道心をもって、「わたしは菩薩になりたいんだ」っていう気持ちで日々修行すると。
はい。そして、次のパートが、「命がけで大乗の菩薩を讃嘆し、心から敬い、供養する」と。そして、「未熟な菩薩に対しても軽蔑しない」と。
はい。まずその大乗の教えを求めるわけだけども、それだけではなくて、自分の先輩であったり、あるいは自分の師であったり、あるいは、直接は関係ないんだけども、歴史に残るような偉大な菩薩であったり聖者であったりする人々、こういう人々を心から尊敬し、まあもっと言えば心から奉仕し、全生命をかけて、菩薩の道をゆく聖者や師や仏陀たちを供養するっていうかな。こういう人生を歩むと。
で、もう一つがやっぱり大事です。もう一つは、「まだ未熟な菩薩に対しても軽蔑しない」と。ね。これはちょっとポイントとしてだけ、言葉でだけ言うけども、決してわれわれは、ね、これいつも言ってることだけど、他者の中に未熟さや、あるいは欠点を見つけても絶対に軽蔑してはいけない。もっと言えば、批判してはいけない。批判や軽蔑が心に浮かび、あるいは口に発しっていうことをやってると、当然菩薩は自分で自分の境地を落っことすことになる。あるいは自分の道を誤らせることになるんだね。だからこれはね、軽く書いてあるけども大いなるポイントだと思います。
大いなるポイント――もう一回言いますよ、ひたすら菩薩道を求め、学ぶと。そして、ひたすら先をゆく菩薩たちに奉仕すると。そして、決して他の菩薩の批判をしないと。あるいは軽蔑をしないと。これがここに書いてあるポイントだね。そのようなことをしっかりと日々行なう者は、まあちょっとは迷うかもしれないが、時間もかかるかもしれないが、そんなに迷わずに目的地に行きますよっていうことだね。
あのね、これはね、簡単なことに聞こえるかもしれないけど、まさに簡単なことなんです。でも、みんなやらないんです、なぜかね。つまりそれは人生を通じてのことなんで、みんな忘れちゃったり、ポイントを忘れちゃったりするわけだけど。
もう一回言いますよ。簡単です、やることは。皆さんが人生の中でやることって簡単なんです。まずは、しっかりと菩薩道を求め、学び、実践すると。これが一つですよね。で、次に、自分の師や、あるいは偉大な聖者に奉仕すると。そして、決して他を批判しないと。この三つを皆さんが為すだけでも、皆さんは、皆さんの人生っていうのは、非常に意味あるものになるし、皆さんの菩薩道っていうのは進んでいくでしょう。
はい。じゃあ次いきましょう。