「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第二回(5)
はい、ちょっと、このね、今全体の話っていうのは、カルマの力、カルマの法則の話をしたわけですけども、カルマの果報に入る力――つまり、カルマの果報っていうのを恐れずに、あるいはカルマの法則っていうのをしっかりと信じて、それによって、自分に生じる苦楽を喜んで受けるっていうことだね。あるいは、何の心も動かさずに喜んで――まあ、だからここもね、いつも言うけども、大乗仏教ってバクティヨーガとすごい近いんだけど、バクティヨーガの発想が一番いいんですね、皆さんにいつも言ってるように。
これもわたしのとても好きな言葉で、「神よ」と。これはバクティの言葉ですが――「神よ」と。「すべてはただあたたがお与えになり、ただあなたがお奪いになるのです」と。そういう言葉があるんだね。つまりその、例えば幸福がきても「神が与えてくれた」と。逆に不幸がきても「それは神が与えてくれたんだ」と。「ありがたい」と。あるいは、自分がとても大事にしていたものがなくなったとしても、「それは神がお奪いになった」と。「ただそれだけだ」と。こういう発想ね。
まあこういう物語はいっぱいある。例えばこのね、今の言葉の出典っていうのは、あるこういう物語があって。あるね、バクティヨーガの修行者、信者で、すごく神にもう不動の信を持っている男がいたわけですね。で、まあちょっとこれは物語的な話なんだけど、まあその神と悪魔がいて、あるとき悪魔がね、「おれはどんなやつでもね、どんなやつの心でもけがすことができる」とちょっと傲慢に言ってるんです。そしたら神が、「じゃあおまえ、あの男の信を失わせることができるか」と。「あの男の信はものすごい」と。「どうだ」って言って、悪魔は「お安い御用だ」って言って、その男のところに行って――つまり、その男にいろんな苦しみを味わわせたわけですね。例えば、その男自身を非常に病気にして、仕事も失敗させて、家族たちと別れさせて、もう本当に社会的、肉体的、精神的……あらゆる苦悩を与えて、「もう神なんかいないんだ」っていう気持ちにさせようとしたと。で、もう徹底的に、例えば家族も離散させ、本人も相当な病気にして仕事も失敗して、もう人生のどん底に落としたときに、その男が言った言葉がさっきの言葉ね。「ああ、神よ。ありがとうございます」と。「すべてはただあなたがお与えになり、あなたがお奪いになる」と。これがバクティの境地なんだね。
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