「解説『スートラ・サムッチャヤ』」第三回(3)
はい。そして、「菩提心は、ブッダの一切法による種のごときものである。一切の生き物に白き法をあまねく成長させるからである。」
はい。これはまあ、書いてある通りですが、つまり菩提心っていうのが一つ生まれることによって、「一切の生き物に白き法をあまねく成長させる」――つまりその、種が成長していくように、いろんなね、善法ね、善なる――例えば功徳が増すとか、智慧が増すとか、そういった、いろんな善きものがあまねく増していくと。
これはもちろん、二つの意味がありますね。二つの意味っていうのは、自分のことと、みんなのことです。つまり、まず自分のことで言うならば、その人が菩提心を持った瞬間から、その人の功徳の増大や、あるいは智慧の増大や、あるいはその他さまざまな素晴らしい要素の増大は、約束されたようなものなんだね。
菩提心っていうのはそれだけ――『入菩提行論』にもね、そういう菩提心の素晴らしさが称えられているけども。だからもう一回ここで書かれてることを言うと、そういった、仏陀に至るまでの、さまざまな素晴らしい要素の増大をなすための種なんです。これがあるかどうかっていうのは、ものすごい大きな違いになるんだね。
それから、現実的なことを言うと、単純にそういった善なるものを増大させるだけではなくて、中途半端なところで挫折しない力にもなります。
これも何回か言ってるけど、菩提心っていうのが最初にあってね、で、それをしっかりと普段、意識しながら修行とかしてると――修行っていうのはもちろん、例えば達成があって――まあ達成っていうか、その前にまず困難な壁がきて、その壁を乗り越えると達成があって、で、またさらなる次の壁がきて……の繰り返しなわけですね。で、例えばいろんな壁を乗り越え、いろんな浄化が起きたりとかして、壁を乗り越えたときに、ある種の幸福な段階がある。非常に幸福な境地に達する。で、さらにまた頑張ってると、次の壁がきて、またさらに、次の段階のより一つ大きな幸福を手にする。これを繰り返すうちに、その人のいわゆるキャパシティによるんだけど、つまりキャパシティによって、例えばその人が、今まで生きてきた中でいろいろ苦しんでたとしたら、その今まで経験したことがないような精神的な安定や喜びを経験した段階で、「もういいや」って思ってしまう場合があるんだね。もういいやっていうのは――まあ、もういいやっていうかな、それである程度満足して、もちろんまた進むんだけど、次に困難がきたときに――つまり次のステージへの試練がきたときに、「ま、もういいか」って思ってしまう(笑)。つまり、もう満足しちゃってるからね。うん。
つまり、自分だけの修行の限界はそこにあるんです。つまり自分だけの修行してるとさ――だって自分のことだから。「自分のことだから別にいいじゃん」って思っちゃうんだね。うん。例えばそれは、今まではこう、乗り越えた苦しみの経験もあるから。「こういう苦しみを乗り越えた!」ああ素晴らしい境地に達した、と。次の苦しみも乗り越えた。また素晴らしくなったと。で、ここで満足しちゃうと、次の苦しみが来たときに、「またあの苦悩を経験するの?」「前回もかなり苦しんで、やっと乗り越えたんだけど、またこれ? どうしようかな?」と。この先にはさらなる幸福があるとは、うすうす分かってるが、「でも結構今でも大丈夫かな」と(笑)。今の段階でいいかなって思ってしまう。ね。飽くなき完全な悟りとか、覚醒への欲求が、その人のキャパシティによって、ある段階からなくなってしまうんだね。
キャパシティっていうのは、つまりその人が、前生とか過去世を含めて、どれだけ多くの幸福や智慧の経験をしてるかです。だから逆の言い方をすると、前生とか過去世とかで、ものすごい悟りを開いていたとか、あるいはものすごい高い天とかにいてね、もうすごい至福の中にいたとかいう人は、少々の修行の進歩では、全く満足しません。全くその慢心に陥らないっていうかな。うん。ちょっとぐらいいろんなことがあったり、心がかなり広がって幸福になっても、「こんなんじゃ全然駄目だ」と。「全然これは、わたしの求めてるものじゃない」っていうのが潜在的に分かるんだね。でもそうじゃなくて、ひたすら地獄や動物を繰り返してきたとか(笑)、あるいは人間でも、あまり修行経験が少ない場合ね――修行によって得る大きな心の解放を経験したときに、まあそれで十分だって思ってしまう。
で、その壁がくるわけだけども、でも菩提心が背景にあると、ここでストップできなくなるんだね。つまり、自分自身はこれぐらいでもういいんだけども、でも、最初に自分が発願したね、誓いを立てた、「みんなのために、みんなを本当に救えるような仏陀になりたい」っていう意味でいうと、わたしはまだまだだと。だから個人的にはもういいんだけど、みんなのためにっていう気持ちになってくる。
これは皆さん、おそらく将来そういうときがくると思います。わたしもそういうときは何度もあった。つまり修行してて、もうすごい苦しくてたまらないと。で、もう本当に、自分だけの問題だったら投げ出してしまいたくなる。でも菩提心を考えるわけだね。自分だけだったらもういいけども――もう本当に苦しいときは、こういう感じです、「さあ、みんなのために頑張るぞ!」じゃないんです。「みんながいるからなあ……」と(笑)。「やんなきゃいけないんだよな……」と(笑)。「乗り越えなきゃいけないんだよな……分かりましたよ」っていう感じで(笑)、こう、はいつくばりながら乗り越える感じだね。そういう力を与えてくれるっていうか、逃げ出すことができない、一つのストッパーになるんだね。だから菩提心がある限りは、善や功徳や智慧っていうのは、どんな障害があっても、どんどんどんどん増大する。その種になるんですね。
はい。それが自分のことですけども。周りのことっていうのは、これも分かりますよね。つまり菩提心イコール、具体的にね、周りにいい影響を与えていくわけだから、その人が菩提心を持って修行すればするほど――これはいつも言うように、具体的なパターンと、具体的じゃないパターンがある。
具体的なパターンっていうのは、実際に皆さんがね、周りの人に教えを説いたりとか、修行させるとか、あるいは励ましたりして、みんなをどんどんこう、みんなの功徳や智慧を増させていくっていうパターンね。
もう一つは、そうじゃなくて、自分の修行が進むことによって、無言で――つまり自分は何もやってないんだけど、周りにいい影響を与えていくっていうパターンね。
そのどちらかのパターンで、一人のね、この菩提心を持つ人がいると、縁のある周りの人も、どんどんどんどん徳や智慧が増大していくわけですね。