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「様相を修習すること」

◎様相を修習すること

【本文】

 (1)様相を修習すること

『そのイダムの様相を上から、あるいは下から順に、身体の粗雑な部分から明らかに思い浮かべて、その部分に対して緊張も緩和もない適度な心一竟で集中する。
 修習の対象以外のどんな様相が現れても、それに従わず、はじめの対象に心を安置する。
 対象が明らかでなくなったなら、再び明らかに思い浮かべて観想する。
 様相が明らかになるまで修習する。目で見る物よりもきわめて明らかなくらいに観想し、また、愚鈍と興奮を離れて実習を続けることが必要である。
 イダムの身体の粗雑な部分についてそのようにしてから、他の面臂と装飾等の微細な部分についても、同様に完全に現われるように修習する。
 それからその上にユムを加え、同じように観想する。それから眷属の他のイダムも観想し、最後には、すべてのイダムと、そのよりどころである宮殿の諸々の様相を一緒に、微細・粗大のすべての様相を明らかに現わし、心一竟に住することが必要である。』

 これも具体的なやり方になりますが、まずイメージする場合に、順番に粗雑な部分から思い浮かべると。粗雑な部分っていうのはつまり、腕が何本ありますかとか、あるいはどういう色の服を着ていますかっていう、そこから始まって――つまり、だんだん微細になるっていうのは、例えば実際にその神の絵があるとして、その神が今言った腕が何本あってどういう色の服を着ていてっていうところから始まって、最終的には手首にしてる輪っかはそれはどんな感じなのかとか、あるいは足首の輪っかはどんな感じかとか、あるいは首に着けている装飾品は何本あるかとか、そういうその細かい部分までだんだん後にはやっていくんですね。最初はそこまでやらなくていい。最初は大雑把でいいんだけど、そうじゃなくて、慣れてきたらその細かい部分までもだんだんだんだんイメージしていくと。

 そして、「修習の対象以外のどんな様相が現れても」――これはつまり雑念が出てきてもそれはすべて無視すると。ただただ今イメージしようとしてるところに常にぱっと心を戻すわけですね。

 「対象が明らかでなくなったら、再び明らかに思い浮かべて」――これはこのままですね。つまり、最初瞑想してたんだけどだんだんそれがぼやけてきたら、ぱっとすぐにまた思い浮かべると。あるいはこれは絵とか見てもいいです。その神の絵をぐっと見て、しばらく目をつぶってイメージすると。ちょっとイメージが崩れてきたら、また見てイメージすると。こういうやり方でも構わない。

 はい、そして、「愚鈍と興奮を離れ」――これは瞑想の基本ですね。心や体がちょっと愚鈍なやる気のない状態でもなく、かつ逆に興奮したイライラした感じでもない状態を保ちながら瞑想し続けると。

 そしてどんどん進んできたら、さっきも言ったように、だんだんだんだん微細な細かい部分までもイメージするようにしていって、次に「ユムを加え」っていうのは、これは神や仏陀によるんだけど、よくこうお妃様をね、つまり女神を抱いてる姿とかあるよね。抱いてなかったら別にいいんだけど、抱いてる場合は、最初そのメインの神だけを最初はイメージして、その上に次にその抱いてる女神もイメージするっていう感じですね。

 そしてその周りにいる――まあこういう神の絵とか見たら、よくこう周りにもいろんな関係ある仏陀とかがいたりする。そういうのも同時にイメージする。つまり例えば曼荼羅の絵があるとして――まああと、ここに書いてあるのは宮殿もそうですね。これは実際にそういう複雑な瞑想を皆さんがやるときだけでいいけども、実際そういう瞑想においては自分が――まあ自分が、ってやるか、あるいは自分とは別のものとして観想するかにもよるけども――最初は自分とは別のものとして観想します。自分とは関係ないものとして中心にメインの神がいて、そのメインの神が妃を抱いていて、で、周りに関係する菩薩や仏陀がいて、あと宮殿があるんだね、宮殿。みんながよく見たことがある、まあるい曼荼羅ってあるよね。あれは宇宙、または仏陀の宮殿を上から見たものです。だからあれは立体化するとちょっと宮殿みたいな感じになるんですね。あれは上から見てるからああいう感じであって。その宮殿みたいなものを実際にこう思い浮かべる。で、最終的にはそのような宮殿があって、仏陀がいて、周りにいろんな菩薩や仏陀がいる。これが最終形態なんだけど、いきなりそれは無理なんで、さっき言ったようにメインの神から始めて、だんだんだんだんこう増やしていくんですね。

 最終的には、つまり理想としては、今言った全宮殿、そして多くの仏陀、そしてその中心にいるメインの仏陀をありありと、まさにそこにいるように思い浮かべられるように訓練するんですね。これが一番最初の段階ですよと。

 そのまま、心一竟ってあるけれども、完全に心をそこに没入させ、もうそれ以外のものが何も思い浮かばない。ただそれだけが心に充満しているような状態をまずは作りますよということだね。

 これは複雑なパターンで書いてあるけど、例えばここでよくやるような瞑想だったらね、「はい、頭の上に観音様をイメージしましょう」と。あるいは「自分の好きな聖なる存在をイメージしましょう」とかよくやるけども、それに没頭するわけです。もうそれしか見えませんと。これが心一竟ですね。わたしの上に観音様がいらっしゃるその姿しか、もう一切心に浮かばないと。それだけが自分の心を占めている状態を、まずは作り出すわけだね。

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