「悪業と善業」
◎悪業と善業
【本文】
たとえば少量の塩は水がわずかであるとき、その味を変えますが、ガンガーの流れの味を変えることはありません。悪業も、善根がわずかなときと広大なとき、それと同じであると知るべきです。
これは分かると思うけども、例えば一つまみの塩をコップに入れたら、もともと普通の水の味だった水が当然しょっぱくなる。しかしガンガー――つまりガンジス川みたいなものすごい幅の広い大量の水が流れているところに一つまみの塩をちょんと入れたとしても、全く味は変わらない。もちろん物理的には入っているんだけど、でも味は変わらない。
これと同じように――ここのたとえでいう一つまみの塩というのは悪業のことです。ある悪業があって、で、善業も少なかった場合。この場合その悪業っていうのはその人の心とかカルマのかなりの部分を当然覆うわけだね。でも過去に何か悪業を積んでいたとしても、その――つまり一つまみの塩とガンガーの水くらいの差の、つまり何万倍、何億倍の善業を積むならば、それはもう比較してものの数にも至らないと。悪業はあるんだよ。あるんだけど、全くその人の心とか人生に影響を与えないようになってしまうんだね。
だから逆にいうと、あなたは過去にいろいろ悪業を積んできたかもしれないが、これから膨大な徳を積みなさいと。それであなたの積んだ悪業なんていうものは――もちろん将来にいろいろ返ってきたり、若干の影響はあるんだけども、「え? 何か今あったの?」くらいの感じの割合になるんですよ、というところだね、ここはね。
『スフリッレーカ』っていうのは読んでいて分かると思うけど、コロコロ話が変わって、一行一行に非常に真理が凝縮されているので、なかなか進まない話なんだけど(笑)。ただこういうふうに内容を分かって読むとすごくいい経典ですね。ポンポンポンポンとこういろんな話が出てくる。