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「心の本性と、瞑想の修習」①

第11章 心の本性と、瞑想の修習

 このようにしてあなたが、すべてが平等であるということを理解したとき、
 それはあなたが根源的な境地に安住するための絶対的な原理になるでしょう。

 ここにおいて、智性のキャパシティーが段階をおって拡大していくプロセスの説明が必要になります。

 ――高度で智性的な観察力を持った人は、
 根源的な領域の直接的経験を通じて、解放されるでしょう。

 そこに教化する主体も、教化される客体も存在しないことを理解したとき、
 顕現と根源の二元性から解放された心の本性は、もう探索される必要はありません。

 ――そして、あらゆるバイアスから解放された純粋な意識、
 それは、清らかな川の流れのようです。

 すべてのものが本質的に解放されているサマンタバドラの浄土は
 時間化されておらず、
 「これはそれ」という認識にとらわれておらず、
 特徴、大きさを持たず、
 しかし、広大な場所に自ら存在しています。

 それは無始の過去から存在していて、
 そのままの、その範疇にとどまり続けるでしょう。

 そこには、迷妄も、迷妄に至らせる場所もなく、
 努力する必要もなく、何かの興味に巻き込まれることもないでしょう。

 かつて、高度な智性的観察力を持った人は、
 達成も、達成していないことも存在しないと、観察されたのです。

 彼は、このステージに至るために長い時間は必要なく、
 今、この瞬間に、完全なるブッダになるでしょう。

 このステージは、広大で、空のようにすべてを包含しています。

 劣った人々、智性の低い人々は、
 このステージに至るために、努力をしなければなりません。

 彼らは、自分は完全に寂静に至ったと確信できるまで、
 さまざまな瞑想のメソッドを修めなくてはなりません。

 特に、輪廻という架空の存在へと導かれる悪しき観念
 これから自由になるために、メソッドとして精神集中の修行が伝授されます。

 それによって、心は極端な執着から解放され、
 智力のキャパシティを広げる識別智が生じるでしょう。

 寂止によって、悪しき感情は粉砕され、
 正観によって、跡かたもなく根絶されるでしょう。

 もともと、高度な智性的観察力を持った人にとっては、
 悪しき観念は溶けて、そのまま法身になるのです。

 ――もし、善も悪も存在しなかったならば、
 悪への対抗策を修める必要もなくなるでしょう。

 心の本性の光明で、すべての二元性が合一し、
 善悪の観念が完全におさまるとき、
 二元を超えた彼の直接的な理解は、空のように広がるでしょう。

 しかし智性が低い人がそれを実際に成し遂げるには、
 まずその前に、寂止の探索によって、あらゆることに直面して、
 心の安定に到達しなければなりません。

 その後、正観をそなえた個々の内観の修習によって、
 外側と内側、顕現と心は、絶対的自由を経験させられるでしょう。

 そこに至るためのモチベーションを高めるために、
 まず、智性のキャパシティーの段階的進化を知ることが必須となるでしょう。

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