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「人生の意味」

20081012 心の訓練⑤

◎人生の意味

 はい、今日は『心の訓練』ですね。

 心の訓練っていうのは、まあ、いつもいうように、一番とらえどころがないんですが、とても重要な教えですね。まあ、結局修行というのはすべてこの心の訓練に集約されるんですが、特にその心の訓練っていう部分をね、集約的にいっている教えですね。

 つまりわれわれは、カルマの流れに流されるようにして生きているわけですね。いつも言うように、カルマの流れっていうのは、いきなり全く違うものにチェンジしたりはしない。つまり例えば、怒りのカルマがある人がいた場合、その人は殺伐とした環境に置かれることが多い。で、その殺伐とした環境でまた怒っちゃうから、またその殺伐としたカルマが増える。こういう感じで、殺伐とした怒りや憎しみの流れが終わらない。あるいはそれが愛著であったり、食欲、性欲、あるいは慢心であったり、いろいろするわけだけども、それは連綿と過去世からずっと繰り返してきてるんだね。

 で、そこで、いつも言うように、救済者、あるいは仏陀、菩薩といった存在がいらっしゃって――この存在っていうのは、本来はもう輪廻と関わらなくていい存在なんです。つもり、もうこのカルマのゲームから上がっちゃいましたよっていう存在なんだけど、あえて関わってきてるんだね。これがミソなんです。つまり、本来このゲームの外にいるものがあえて関わってきたっていうことは、この整然としたゲームに一つの乱れが生じるんだね。いい意味での乱れだけど。つまり、われわれのこのカルマに左右された輪廻に、ポッとなんか、つまりコンピューターに入り込んだみたいな感じだね。コンピューターのプログラムにポッと、「仏陀」ってこう入り込んできた(笑)。「なんだこりゃ」と。

 で、ここから先が重要なんです。つまりわれわれは、仏陀や菩薩――もちろんヒンドゥー教的なクリシュナとかでもいいんだけど、そういったものの縁によって、今真理と巡り会いました。これは、それだけでわれわれが救われるわけではない。これは、カルマを変えるチャンスをもらったんだね。よって、われわれが人間として生まれ、そしてヨーガなり仏教なりの正しい教えに巡り合った。この人生にもし何か意味があるとするならば、一生かけて自分のカルマ、自分の心を作り直すっていうことなんです。

 つまり教えがあっても、ただ頭で理解したり覚えたりしてるだけでは、全く意味がない。それによって自分の心をいかに作り変えるかなんだね。

 で、それはもう一生かけてやらなきゃいけない。逆にいうと、一生で変わってしまったら、もう儲けもん、みたいな感じです(笑)。だって、何億生何兆生というか――数字にはできないぐらいの生まれ変わりの中で作り上げられた、このどうしようもないこの心がある。これを真理っていうエッセンスによって、いかに作り変えるか。

 だから、今日明日変わるもんではない。もちろん、早く変わればそれに越したことはないけどね。でも「一生かかってもいいんだ」ぐらいの地道な気持ちで、もうひたすら自分の心を調御するっていうかな、訓練する。これがとても大事なんですね。そのエッセンスというかポイントを繰り返し説いているのが、この心の訓練と呼ばれる教えのシリーズだね。

 で、いつも言うように、『入菩提行論』ね、シャーンティデ-ヴァの。あれなんかもいってみれば心の訓練の教えです。

 『入菩提行論』って、わたしいつも「すばらしい教えです、すばらしい教えです」って言ってますが、ただしあれは、どちらかというと客観的な教えではないんだね。客観的な教えではないっていうのは、例えば科学的なね、「世界とはこうなっています」「このような法則があって」とか、そういうことを説いているんじゃない。じゃなくて、われわれが実際に読んで実践して、実際に心が変わっていくための実践的な教えなんだね。だから客観的に学者的に読むと、ちょっと変な感じがするところもたくさんある。「これどういう意味なんだろう?」と(笑)。「こことここでいっていること違うんだけど、どうなんだろう」と。そうじゃなくて、実践の書なんだね。だから心の訓練の教えってそういう趣があるっていうか。

 で、『入菩提行論』は長いわけですが、非常に短いものとしては――これもこの勉強会でやりましたが、『心を訓練する八つの詩』っていうのもある。あれは非常に短いやつですね。で、この『七つの要点』は、それよりはちょっと長い。でも『入菩提行論』とかに比べると、短くまとまっているエッセンスみたいなものですね。

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