yoga school kailas

「二つの次第の重要性」

◎二つの次第の重要性

【本文】

『生起次第の直接的な必要性は、究竟次第の悟りを完全に生じるための心の連続体を、よく成熟させることである。
 ヤブ・ユムの一対のイダムのヨーガを修習し、先に生起次第のサマーディを堅固に得たならば、究竟次第の修習の場合に、誤りは少ない。はじめから究竟次第だけで十分とするのは、タントラ部の意図ではない。』

 これは、今言ったことと同じですね。しっかりと生起次第というのを固めておかないと――つまり、究竟次第がメインであることは間違いないんですが――生起次第もしっかりやっておかないと、なかなか本質的な結果は得られませんよということですね。

◎生起次第の流儀

【本文】

 『では、どのように修習するのか。
 このナーローの六法のタントラの流儀を受け継いだある者たちは、この道の基盤はチャンダーリーの火であり、それはまた主に「ヘーヴァジュラ・タントラ」によっているから、そのタントラに説かれているヘーヴァジュラの四部族のいずれか一つを修習するとよいと御主張されている。
 また、この流儀の先代のグルたちには、サンヴァラを修習する者も多い。ガンポパ、パクモ・ドッパ、チョジェ・ディ・クン・パなどがそうである。
 また、この三人はともにルーイパ流のチャクラサンヴァラ六十二尊曼陀羅にもよっている。
 そのように二つの流儀があるけれども、このチャンダーリーの火はチャクラサンヴァラとヘーヴァジュラの二つともに共通の道であるから、生起次第はその二つのいずれを行なってもよい。』

 これは、あんまりわれわれは考えなくていいっていうかな。つまりインド密教あるいはチベット密教の伝統においてね――タントラっていうのはつまり密教経典のことですが――いろんなタントラがあって、そして生起次第においても、いろんな神々に変身するパターンのやり方があるんですね。その中で、ここの中では、この『ナーローの6ヨーガ』の伝統においてはね、ヘーヴァジュラあるいはチャクラサンヴァラといった神々に変身する瞑想ね、これをやるといいですよって書かれていますが、もちろん別にそうじゃなくてもいい。ここでよくやってる観音様の瞑想とか、あれも言ってみれば生起の瞑想です。ああいうのでもいいし、また全然違うのでも構わない。

◎散乱なき正念

【本文】

『生起次第において体験を実現するためには、はじめに心を散乱せずに正念する。
 心が静まったならば、観想を始める。
 イダムが多面多臂であるならば、他の面と臂を観想することはしばらくはせずに、まずは一面二臂を心にとどめて修習する。』

 これは具体的な行法の説明に入ってますが、まず心を散乱せずに正念する。まずこれは、基本的に出来るだけ雑念をなくして心を集中しましょうと。はい。それから神の観想を始めるわけですね。

 ここでまずイダムってあるのは、イダムって今から瞑想する神とか仏陀のことをイダムと言います。多面多臂っていうのは、ここにもいろいろあるのでも分かるように、結構顔が幾つもあったりだとか、手がいっぱいある場合もあるんだね。例えば有名なのは、カーラチャクラなんかは顔が四つあって腕が二十四本もある。でも一番最初はそんな複雑なのは無理だから、一番最初は一つの顔それから二本の腕だけでやりなさいというのがここのところですね。それからだんだんだんだん増やしていくわけですね。

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