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「ミラレーパの生涯」第二回(4)

【本文】

 しばらくすると、マルパの心は穏やかに静まっていました。そしてゴクパがいかにミラレーパを勇気づけたかの話を聞くと、マルパは涙を流し、「秘密の道を行く者たちはこのようでなければならぬ。まさに彼らはそのような者たちだ」と言い、ミラレーパやゴクパや他の弟子たちを集めました。
 そしてその席で、ついにマルパはすべての種明かしをしたのでした。ミラレーパがここにやってくる前から、夢の予兆により、ミラレーパが偉大な約束された弟子であることはわかっていたこと、しかしその悪業を落とすために様々な試練を与えたこと。そしてマルパはミラレーパに九つの塔を建てる試練を与えたのですが、ミラレーパは八つの塔を建て、九つ目は完成させることなくゴクパのもとに逃げてしまったわけですが、もしミラレーパが九つの塔を完成させていたら、その時点で、完全にミラレーパのけがれは消え、完全な解脱を果たしたであろうこと、よってほとんどの罪は消し去られたが、最後で逃げてしまったために、わずかながらけがれが残ったことなどを説明しました。
 そしてここにおいてついにマルパはミラレーパを正式に弟子として受け入れ、
「教えを授けよう。望み通り瞑想させ、幸福にしてあげよう」
と言いました。
 ミラレーパは夢ではないかと疑うほど喜んだのでした。

 はい。ここはまあ、なんていうかな、ミラレーパの生涯の第一部終了っていう感じですね。つまり遂に試練の時期が終わり、遂にマルパに受け入れられた。そこで初めて種明かしをされるわけですね。つまり最初から種明かしはもちろんされないわけです。ね。ナーローパのときと同じようにね。最初から種明かしされたら逆に耐えられるから。ね。「おまえちょっと悪業多いから、二、三年、試練耐えろ」と。ね(笑)。二、三年、ちょっと不条理なことするけど、全部意味があることだからちょっと頑張れよと。ね。それだったら耐えられるよね。
 でもね、話戻すけどね、いいですか、現代では無理です。現代では無理っていうのは――まあ無理じゃないかもしれない。無理じゃない人もいるかもしれないけど、現代では多分説明しないとついてこないでしょう、人っていうのは。そういう意味では、まあ純粋な時代だったんだね。もちろんミラレーパ自体の素質でもあるけども。でも実際は種明かししたら、それは修行にならないんです。何の保証もない状態の中で師を信じ、道を求め、あるいは仏陀を信じ、っていう状況が必要なんだね。その中で、なんの保証もない中で、自分の中の一本の道、一本の信みたいなものをね、失わずに進んでいけるかっていう問題なんです。
 現代人は保証を求めすぎる。ね。これ、こうだったらどうしますかと。ね。裁判起こしますよとかね(笑)。いろいろこう保証を求めるわけだけども。あるいはなんていうかな、まあ概念上の、あるいは言葉上の安心を求めるわけだけども、実際こういった道、つまり悟りの道っていうのは、自分の中のそういった概念を求める心や保証を求める心自体を壊していく道なんで、それがあっては本来は駄目なんだね。
 でも何度も繰り返すけども、現代はちょっとそういう時代になっちゃっていて、皆さんもそういう時代に生きてるから、そういう要素はあるとは思うんだけど、でも皆さんが真剣に法を求め、努力していたら、若干このミラレーパよりはもちろん回り道になるかもしれないが、なんらかのかたちでそういった心のけがれはつぶされていきます。
 ここでいうけがれっていうのは、怒りとか憎しみとかそういう意味でのけがれではない。概念とか保証とか、あるいは、そうですね、エゴを守るとか、そういう意味でのけがれです。そういったものが、おそらく別のかたちで壊されていくでしょう。巧妙に巧妙にね。
 でも、今日の一連の話を聞いてれば分かると思うけども、もっと早く壊されたかったら、もっと早く道を進みたかったら、投げ出すしかないんだね。
 だからいつも言うように、帰依の道が一番早いんだね、そういう意味でもね。この帰依の道っていうのは、言葉にするとちょっと曖昧になっちゃうんだけど、でもまあ今日の一連の話でなんかその輪郭みたいなのは皆さんもつかめた人はいるかもしれない。
 帰依の道が実は一番早いんです。なんでかっていうと、いつも言うようにね、われわれはもうベースの時点で間違った自我、間違った自分の概念っていうものにしがみついてるので、われわれが頭で考えてることっていうのは、その過ちの上で考えてることだから、まあつまり例えばウインドウズっていう、そのOS自体がけがれだとしたらね、その上で働くプログラムは全部けがれなんです。ね(笑)。だからこのOS自体を放棄しなきゃいけないんだけど、それがほんとの修行なんだけど、でもわれわれはそのOSを放棄するっていう発想がないんだね。だからなかなかほんとの意味でのスピーディーな修行っていうのはできない。しかし、帰依が一番っていうのは、まさにこのOSさえも放棄してしまうっていうことです。自分の土台、ベーシックな部分すらも放棄してしまうってことです。でもそれはある意味もちろん非常に恐ろしいし、実際問題としては、それができるのはその師との――まあ師がいる場合ね。師がいる場合は師との縁であったりとか、あるいはその修行者側の問題として言うならば、修行者の前生からのそういった道との縁であるとか、そういった素養とかっていうのは当然重要になってくるよね。まああるいはさっき言った神や仏陀の祝福とかもそうだけどね。
 はい。だからまあ実際、皆さんが今どうなのか、あるいはどういう道を得るか、選ぶのかは別にして、このね、ちょっと伝えづらい話なわけだけど、このミラレーパの話でなんとなくこう輪郭が浮かんでくる帰依の重要性っていうかな、投げ出すことの重要性っていうか、それはしっかりと心に刻んでおいたらいいと思いますね。
 はい。で、まあここで遂にミラレーパは受け入れられ、ここでやっと、つまりこれまでは何の教えも教えてもらえないし、瞑想も教えてもらえなかったわけだけど、やっとここで修行法を教えてもらって、瞑想法を教えてもらってっていう、その段階に入るわけだね。

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