「バクティ」第一回(2)
【本文】
また、バクティは、放棄をその特徴とする。
ただ至高者に心から尽くして、その妨げとなるものをすべて放棄する。
そして至高者以外の何ものにも、庇護を求めることはない。
この世のしきたりも、さまざまな宗教的教えも、至高者への愛の手助けとなるものだけを行ない、至高者への愛に反するものは放棄する
はい、これもまあ読んだ通りですが――放棄を特徴とすると。もともと修行っていうものは、放棄、現世放棄っていうものが土台にあるわけですけども――よくね、対比して話すときに例えば――バクティヨーガ、これは愛の道であると。で、ジュニャーナヨーガ、これは智慧の道で――で、ラージャヨーガ、これは放棄の道とよく言われるときがある。まあ、ラージャヨーガは実際には精神集中の道なんだけど、その精神集中のために世俗的なものを放棄すると。
つまりそのバクティヨーガっていうのは、さっきも言ったように、その愛の道――つまり「神にいかに愛を向けるか」っていうことなんだけども、でもこれが机上の空論で終わったらしょうがないわけですね。つまり口先だけで「神、神」と言って、でも実際には多くのとらわれがある。これじゃ駄目なわけだね。だから現実的には、もしバクティの道を本当に歩みたいっていう人がいたら、まさにこの放棄の修行を徹底的にやる必要があるわけだね。つまり、神に全愛を向け、そしてその邪魔となるもの一切を放棄するということですね。
「ただ至高者に心から尽くし、その妨げとなるものすべてを放棄する」。
これはもちろん執着であったり、あるいは憎しみであったりプライドであったり、さまざまな心の――いわゆる煩悩といわれる心の幻影がたくさんあるわけですね。で、それがもちろん道徳的に悪いわけではない。あるいは、自分の悟りの障害となるから駄目なわけでもなくて、ただただ神への愛の邪魔になるから――ただその一点なんだね。
さっきも言ったようにこの神への愛ってのは、実際には深いものがあって、つまり単純に「愛してます」ってだけでなくて、それが成立したときには――さっきも言ったように全部神の愛に見えるから、そこには何の苦しみもなくとらわれもなくなるはずなんですね。でもそうじゃなくて、「わたしは神を愛してます」とやっているのになんか苦しいと。ね。あるいはなんか嫌いな人がいると。あるいはなんか心が不満を感じていると。としたら、何か――つまり神への愛を妨げている何かがあるなと。
で、ここで勘違いしちゃいけないのは、それは自分の中にあるんです。つまり現象というよりは、自分の中に神への愛を妨げている障害があって、それが一応あらわれとして現象があらわれて、それによって自分がつまずくわけですけども。その現象を取り除いたとしても、当然、自分の中にあるうちはまた別の現象が表われ、引っ掛かる。だから自分の中にある、自分と神とのこの距離を遠ざけているもの、あるいは阻害してるもの、これを一つ一つ、そして徹底的に放棄しなきゃいけない。
この放棄が、つまり実質的には――もう一回言うよ――理想としては神への完全なる愛、これがバクティなんだけど、実践面においてはまず必要になるのはこの放棄だっていうことですね。徹底的な放棄。
これはね、大乗仏教もそうなんだけど、皆さんは徳があるから、こういったちゃんとした教えを学べるけども、バクティヨーガとか、あと大乗仏教って、いつも言っているけどね、ちょっと勘違いに陥りやすいんだね。勘違いっていうのは、つまり小乗的な自分の解脱だけを求めて修行している人っていうのは、もうこれ、完全な放棄の人ですから。「放棄だ!」って言って、もう一切を放棄する。家、家庭を放棄し、友人を放棄し、食べ物も着る物も一切の楽しみを放棄して、ただ修行に埋没するわけですね。じゃなくて、大乗仏教の菩薩や、あるいはバクティヨーガの人っていうのは、そういう、その極端な放棄はしないわけだね。つまり世俗にいながら、あるいはある程度の――例えば食べ物もそうだし、あるいはある程度の喜びを持ちながら修行を進めるわけですね。でもこれは別に放棄しなくていいってわけじゃないんだね(笑)。放棄しなくていいってわけじゃなくて、その中で人を救う。またはその中でそのすべてを神の愛と見る、っていう方向に持っていかなきゃいけないから、精神的には、よりいっそう放棄しなきゃいけない。うん。一切とらわれないっていう状態を作んなきゃいけないんだね。その完全なる放棄をちゃんと心に確立しないと、何度も言うように似非バクティになるし、あるいは似非菩薩の修行になってしまう。
だからこの放棄――まあ逆にいうと「自分がとらわれてないかな?」「自分の心が、自分が作り出した幻影にとらわれて、いろんなものに執着したり嫌悪したりしてないかな?」と。こういう念正智っていうのは、やっぱり日々行なう必要がありますね。
はい、それによって、そのバクティの理想を妨げるものを徹底的に放棄する。
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