yoga school kailas

「ひたすら至高者を思い続ける」

◎ひたすら至高者を思い続ける

【本文】
『また、他のものに一切心をそらすことなく、ひたすらわたしを思い続けるヨーガの実践者は、
 たやすくわたしのもとへと到達できるのだ。』

 これもさっきから言ってることと同じですね。単純に神や仏陀の名を唱えればいいっていうことではなく、何パーセント心が神や仏陀に向かい、何パーセント他のものに向かっているかっていう単純なそういう話になってくるわけだから。何をやっていようとも、本質的にいつも心が引きずられることなく常に至高者、あるいは仏陀のことを思い続けられる人がいるとしたら、必ずその世界に行くでしょうと。

◎三界を超えた世界へ

【本文】
『わたしのもとに達した偉大な魂たちは、苦しみとはかなさに満ちた物質界に再び生まれ出ることはない。
 なぜなら、彼らはすでに最高の完成の域に達しているからである。

 梵天界から悪趣に至るまでの全世界は、生死を繰り返す苦悩の住処なのだ。
 しかし、わたしのもとに来た人は、決してこの世に再生することはない。』

 これはね、仏教の世界観とこのバガヴァッド・ギーターの世界観って同じなんだね。ここでちょっと気をつけなきゃいけないのは、ブラフマンといわれるものと、ブラフマデーヴァ、つまり梵天といわれるもの。これは違うって考えた方がいいです。ブラフマンっていうのは完全なるすべての根源。まったく生まれることなく滅することもない完全な存在なわけですけども、ここでは「梵天界から悪趣までは生死を繰り返す」って書いてある。つまり梵っっていうのはブラフマンのことだけども、ブラフマンに天がついてブラフマデーヴァ、梵天ってなると、これは仏教の梵天も同じなんですが、まだ輪廻の中にいる神なんだね。ただしわれわれが住んでるこの輪廻の世界を生み出す神なんです。
 これはね、実は仏教のほうが詳しくいってる。原始仏典の中でこの梵天がね、この梵天の心の働きによってこの世界が生まれ出てる様子が書かれてる仏典があるんだね。だからわれわれの世界の王である。梵天っていうのは。しかしブラフマンじゃないんだね。宇宙の本質のブラフマンとしてはちょっと違う。そこらへんがちょっとややこしいんだね。
 だから例えばわれわれが普通に梵とかブラフマンっていった場合、この神としての梵天をあらわしてる場合と、宇宙の本質としてのブラフマンをあらわしてる場合の両方あるので、そこらへんをちゃんと見極めないと、いってることがこんがらがってきてしまう。
 だからここでいってる梵天っていうのは、この輪廻の世界の上のある――まずリアルに言うと、地獄界があって――まあこれは仏教的にいうとね――動物界があって、餓鬼の世界があって、人間界があって、阿修羅の世界があって、天界というか欲の天ね。欲天がありますと。で、この欲天の上に君臨するのが梵天の世界なんです。で、この梵天から地獄に至るまでの世界が滅したり、また生まれたりを繰り返してるんだね。これがわれわれの住む宇宙の創造と破壊の繰り返し。だからまさにこれは原始仏教の教義と全く同じですね。しかしこの至高者の境地っていうのはすべての三界を超えた世界なので、もう二度と輪廻に戻ることはありませんよ、ということだね。

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