◎福田としてグルを観想すること
②祝福を受けるためにグルヨーガを修習して、供養すること
祝福を受けるためにグルヨーガを修習することには、二つある。
福田としてグルを観想することと、
それに対して供養してお願いすることである。
◎福田としてグルを観想すること
眼前の虚空に、獅子によって支えられた宝座がある。その上に蓮華座と日輪座があり、その上に、本質は自分のグルであり、形は第六部族のヴァジュラダラであるものを観想する。
その身体は青色で、一面二臂にして、右手にはヴァジュラ、左手にはヴァジュラベルを持って、自分と同様の姿のユムを抱いている。
天上の衣の上掛けと下掛けをそなえて、宝飾で飾られ、足は金剛結跏趺坐で座し、五光明が燃えさかっていると観想する。
そのヴァジュラダラの頭頂の月輪座の上に白いオーム字、のどの蓮華座の上に赤いアー字、心臓の日輪座の上に青いフーム字が光明を放っていると観想する。
フーム字から光明が放たれて、ヴァジュラダラから始まり相承されてきたグル方と、種々の守護神をお招きして、ヴァジュラダラの中に溶け込ませる。
「勝楽生」の中に、
「グルは仏陀であり、グルは法であり、またグルはサンガである。」
と説かれているように、三宝すべてが集約された本質として、ヴァジュラダラの姿をしたグルを観想する。
「五次第」の中に、
「これは自然性の世尊であって、優れたイダムは一つであり、
教えをよく与えるから、ヴァジュラの師はそれ(ヴァジュラダラ)より優れている。」
と説かれているように、グルは自分に対して功徳を与えてくださる田畑として、ヴァジュラダラよりも優れていると思いなさい。
「口伝」の中に、
「このある意味を持った人(グル)に、私(仏陀)は、その人の体に住して、他の行をする人の供養を受ける。
それによって、それを喜ばせ、心の連続体のカルマの障害を清浄にする。」
と説かれたように、正しい教えの意味を説くグルは、弟子が供養するときに、諸仏が降臨されて、グルの体に安住されて、供養を受けて弟子の心の連続体を清浄にする。
グル以外の他へ供養したときは、自らが仏陀に捧げたという功徳は得るけれども、仏陀そのものが供養を受け取ったという確信はない。
そのようなあり方を理解して、供養の受け手としてグル以上のものはないという確信持ち、グルをすべての如来方の本質と見て、グルの欠点を考える心を強く断じ、グルの諸々の功徳を観察して、グルへの帰依心を堅固にする。
グルの欠点を観察するならばそれは成就の害となり、功徳の点から観察するならば成就は速やかに得られるからである。
これらのあり方によって、グルに対する帰依心を強め、また、グルの恩を忘れず、大きな恭敬を常に持ち続けるようにする。
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