◎特別な師
◎特別な師
【本文】
大悲に敬礼いたします。
甘露であるこの秘訣の真髄は、セルリンパから流れ出たものです。
ヴァジュラ、太陽の光、そして薬樹のようなこの教えの意義を理解すべきである。
五つの堕落があふれるこの時代、この時にこそ、逆境を悟りへの道に変容させよ。
まずこれは序文ですね。
「大悲に敬礼いたします」。
大悲、つまり大いなる慈悲ね。慈悲の心。哀れみの心に敬礼いたしますと。
「甘露であるこの秘訣の真髄は、セルリンパから流れ出たものです」。
このセルリンパっていう人は昔の伝説的な聖者なんですが、チベットに教えを広めたアティーシャっていう人がいたんですが、このアティーシャの師匠といわれています。
で、アティーシャっていう方はものすごい大学者で、いろんな師匠について、いろんな仏教のさまざまな教えをあまねく学んだ人なんですね。しかしこのアティーシャが、自分のさまざまな師匠に敬意を表するとき、セルリンパにだけはすごく特別な敬意を表したんだね。それで人々が不思議に思って、アティーシャに聞いたわけですね。
「あなたにとって師匠っていうのは、みんな偉大な価値のある人だと思うんだけど、なぜセルリンパだけ特別扱いして、そんな偉大な敬意を表するんですか?」
と。
それに対してアティーシャが答えたのは、
「確かにわたしにとって、わたしが学んできた多くの師匠というのは、みんな平等に価値がある、素晴らしい感謝しきれないほどの存在である」
と。
「しかしセルリンパはわたしに菩提心を教えてくれた。わたしに菩提心を教えてくれた師がセルリンパだ」
と。
「これだけでもう、セルリンパというのはわたしにとって特別な存在なんだ」
って言ってるんだね。
で、この伝統っていうのはもともと仏教にあって、チベット仏教とかまさにそうだけど――チベット仏教って、まあ人によるんだけどね。例えばミラレ―パみたいに、ただ一人のマルパっていう師匠だけにしか教えを受けない、「他の師匠はもうわたしにはいりません」っていう人もいれば、そうじゃなくて多くの師匠を訪ねて、多くの教えを学ぶタイプもいる。で、この後者の多くの師匠の教えを学ぶタイプの修行者の場合も、その人にとって、菩提心の教えを与えてくれた師っていうのは特別な存在になるんだね。つまりそれだけこの菩提心とか慈悲っていうものが、仏教の最も重要なエッセンスだということですね。
で、このチェカワっていう人も、チェカワの直接の師匠はシャラワっていう人なんですが、このシャラワを辿るとアティーシャ、そしてセルリンパにつながるんですね。つまりこのセルリンパから脈々と伝わってきたこの心の訓練の教えを、今このチェカワっていう人がまとめますよ、というところですね。
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