◎堕落の時代
◎堕落の時代
はい、そして、「五つの堕落があふれるこの時代、この時にこそ、逆境を悟りへの道に変容させよ」と。
はい、これは仏教でもヒンドゥー教も――というよりヒンドゥー教が最初だけども、現代はカーリー・ユガっていわれる。これはいろんな計算方法があって、現代はカーリー・ユガじゃないっていう人もいるんだけど――ユクテスワとかは「現代はカーリー・ユガではない」って言ってるけど、一般的には現代はカーリー・ユガっていわれる場合が多い。まあ、現代がカーリー・ユガにあたるかどうかは別にして、ひどい時代であることには間違いない(笑)。つまり人間界っていうか、この地球だけじゃなくてね、この人間が住む世界が四つのユガ――ユガっていうのはつまり巨大な時間の移り変わりを繰り返すっていわれてる。
で、一番良い時代っていうのはサティヤ・ユガ――つまり真理の時代っていう時代っていう時代があるんだね。その時代っていうのは、もうみんな普通に修行とか、あるいは慈悲とか、あるいは神のことだけを思って生きるとか、そういうことが普通に行なわれてる時代。
仏教ではこの最高の時代、人間の寿命は八万歳になるっていわれてる。で、仏教のその時代の描写とか見るとおもしろくてね――これも前に何かに書いたけども――みんな悪業を犯してない。っていうよりも悪業を知らないんだね。悪業の存在さえ知らない。例えば嘘をつくっていうのも知らない。「嘘ってなんですか?」と(笑)。「真実じゃないことを言うことだよ」と。「ああ、それが嘘なんだ」と(笑)。つまりそういう悪業っていう発想すらない時代があるんだね。で、この時代っていうのは、人間の中でも徳の高い者はみんな空に浮いてるっていうんだね(笑)。で、神々と非常に近い。つまり一応人間なんだけど、人間のマックス状態だから、神の一番下の存在と非常に近くなってるんだね。だから普通にその辺に神が現われてる時代。人間と神の差があまりなくなってる時代があるんだね。
で、これがマックスで、そこからグーッと人間が落ちて行って、最悪の時代がある――これがカーリー・ユガですね。で、この最高に素晴らしい神に近い時代と、最悪の時代を行ったり来たりしてるっていわれる。ものすごい長い時間をかけてね。この落下と上昇を人間界は繰り返してるっていわれてる。もちろん落下しきるとそこからまた上昇に向かうんだけど。
だからいろんな考えがあるけど、今はこのかなり落下してる、もしくは落下しきる直前くらいの時代ともいわれている。
◎お釈迦様の予言
お釈迦様はね、面白いことに、予言的な話なんだけど、人間の寿命が、さっき言ったように、最高の時代っていうのが八万歳なんだけど、最悪の時代になると人間の寿命が十歳になるんだっていってる。十歳になって、そこで――これはまさにお釈迦様の予言なんだけど――そこで人々は殺し合うって書いてある。お互いに武器を持って殺し合うと。で、それが七日間続くと。で、それが終わった後に、人々が改心してちょっと心を入れ替えて、ちょっとずつ善をなすようになり、そしてだんだんだんだんまた徳が増していって、またものすごい時間の後にその最高の状態に戻る、というふうにお釈迦様の原始仏典に載っている。
で、これ前にも言ったんだけど、人間の寿命が十歳になったとき――平均寿命がね――そのときが人間の最堕落の時期だっていわれてるんだけど、これは仏教における生命っていうのを考えるとね、現代の寿命は延びてるから、七十とか八十とかじゃないかっていうかもしれないけど、仏教における人生のスタートは受精なんです。つまり受精の瞬間、魂がそこに入りこむといわれてる。つまり生まれる前から、お腹に宿ったときからもう寿命が始まってるんだね。――ということは今、日本及び先進国で行なわれている堕胎。これも計算に入れなきゃいけない。それからアジア、アフリカで恵まれない子供たちが死んでいくと。もちろんこれも計算に入れなきゃいけない。それは生まれる前に死ぬかもしれないし、生まれてすぐ死ぬかもしれない。こういうのを全部計算に入れると――まあもちろんこれは正確には分からないけど、曖昧な試算でいうと、だいたい十歳から二十歳になるらしいんだね。人間の寿命がね。だからそういう意味でいったらかなり底まできてる。われわれの落下っていうのはね。それだけ今ひどい時代なんだと。
◎五つの堕落
はい、そして、「五つの堕落が溢れるこの時代」っていわれている、この五つの堕落っていうのはいろんな説があるけど、一応一つの説をいうと、まず第一は「寿命の堕落」――これはさっき言ったように、寿命が非常に短くなります。人間の寿命のマックスは八万歳なんだけど、現代は長く生きても百年生きられない。あるいはさっき言ったように、堕胎とか小さいころに死んじゃう人も多い。これが第一の堕落ですね。
はい、二番目は、今度は精神的な問題になるけど、「非常に煩悩が多い」。ね。これはつまりさっき言ったように、悪業をなすことがほとんどない時代ってあったわけだけど、今はもう煩悩だらけで、もう悪業なしまくりだと。この煩悩が多いっていうのが、二番目の堕落のポイントだね。
はい、三番目は「エゴが強い」。つまり言い換えると、自我が非常に強くなってる時代だと。つまり言い換えると、自分と他人の区別が非常に強くなってる。これもこの現代のカーリー・ユガの特徴だね。つまり人間が神に近い時代っていうのは、もう自分と他人があまり区別がない。まるで自分のことのようにみんなの幸せを願ってる時代っていうのがあったわけだけど、どんどん個人主義化していって、自分さえよければいいという時代になっていく。
はい、そして四番目が「見解の堕落」。見解ね。つまり考え方、物の見方。あるいは何が正しいんだろうかとか。これがもう非常に堕落する。つまり真理とは全く関係ないものが真理として崇められ、邪悪なものが真理として崇められ、あるいは例えば低い霊的なものが高い霊的なものとして勘違いして崇められ――そういう悲惨な時代になっていくんだね。あるいは例えば唯物論的になったり、カルマの法則が無視されたり、そういった悪しき見解の時代になっていきますよと。
はい、そして最後第五番目が、「世界そのものの堕落」。世界そのものっていうのは、つまりもうこの人間界自体が人間界じゃなくなってくる。非常に魔的なものも増えるし――この間も言ったけども、この時代になってくると神がね――ここでいう神っていうのは――神って二つあります。大雑把にいうと。一つは例えばクリシュナとかシヴァという、いわゆる絶対神。つまりすべてに遍在している、唯一の実在そのもの――仏教でいう如来といってもいいんだけど――完全なる真理そのものを神といってる場合。で、もう一つのパターンは、そうじゃない、高い生き物っていう意味での神です。つまりまだ完全に解脱してるわけじゃないんだけど、われわれよりも高い世界に住んでる生き物っていう意味での神だね。で、この後者の意味での神っていうのは、もともとはわれわれを守護してくれている。つまり人間界を守護してくれてるんだけど、このカーリー・ユガの悪しき時代になると、愛想つかしてどっかに行っちゃうっていうんだね(笑)。で、逆に魔的な存在が喜んで人間界に来て、はびこるっていわれている。
つまりあまりにも人間が堕落するんで――人間と神の関係って、人間と動物みたいなもので、人間が動物を可愛がるようなもんです。つまり人間っていうのは動物よりも智慧がある。智慧があるから、例えば動物が怪我してたら、手術をしたり治してあげたりする。あるいは、動物には理解できないようなことをいろいろやってあげて、動物が幸せであるようにって、例えばペットとかね、やってあげる――まあ、中にはやりすぎな人もいるけどね。ペットに服着せたりとか(笑)。それがいいかどうかは別にして(笑)、とにかく動物には理解できないような人間の価値観でいろんなことをやってあげる。
同様に神もいろいろやってくれてるんだと。それは人間には理解できない。何でわたしの人生にこういうことが起きるのか全く理解できないんだけど、神の価値基準で――つまりわれわれよりも高い価値基準でわれわれにいろいろやってくれてる神がいる。これはもう一回言うけども、それは絶対神じゃありません。われわれよりちょっと高い段階の神だね。
でもちょうど、たとえば動物があまりにも凶暴になり、あるいはあまりにも主人への忠誠心を失くし、あるいはいろんな悪い習性を見せ始めたときに、人間がその動物を嫌いになってもう面倒見なくなるのと同じように、人間があまりにも神から外れだすと、神は「もういいや」って感じで(笑)――つまりここでいう神は、何度も言うけど、まだ低い神だから――低いっていうか、われわれよりは高いけど絶対神ではないから、「もうちょっと面倒見てられない」って感じになっちゃうんだね。で、逆にそのような邪悪な人間を好むのが魔的な存在なんだね。魔的な存在からしたら、「おお、お前らいいやつじゃないか」と(笑)。「お前ら怒りに満ちてるなあ! それでいいんだ!」って感じで(笑)、ワーッて魔的な存在が来て人間界にはびこるっていうんだね(笑)。
だから非常に現代っていうのは修行しづらい。それはエネルギー的にもそうだし、あるいは現象的にもね、われわれのいろんな人生のいろんなことが、われわれの煩悩を増すように増すように、怒りが増すように増すように、執着が増すように増すように動き出すんだね。これは完全に、神に守られてるんじゃなくて魔に魅入られてる世界ってことですね。これもカーリー・ユガの一つの特徴。
で、もちろんそれだけじゃなくて現実的にも不幸なことがいっぱい起きるようになります。
このカーリー・ユガとかいう話っていうのは、ものすごい――例えば何千年、何万年、あるいは何十万年単位の話なんだけど、そこまでいかなくても小さなタイムスパンでもね、どんどんやっぱりちょっと世界っておかしくなってるよね。いろんな凶悪事件とかもそうだけど。わたしが子供のころっていうのはやっぱりあんまり――みんなもそうだろうけど――邪悪な事件ってなかった。それどころか――いつも言うけどさ、わたし田舎だったからだけど、わたしいつもお父さんとお母さんが共働きだったから昼間はおばあちゃんの家に預けられてたんだけど、うちのおばあちゃんの友達の八百屋のおばあちゃんっていうのがいて(笑)、いつもうちのおばあちゃんのところに来て一緒に漬物食べたりして、帰ってくいんだけど。うちのおばあちゃんの家って結構金持ちの家だったんだけど、玄関閉めないんです、鍵とか。で、わたしがあるとき学校から帰ってきたら、玄関開けっ放しになってて誰もいないんだけど、八百屋のおばあちゃんが中で漬物食ってた(笑)。勝手に入って漬物食ってる(笑)。「今ばあちゃんいないんだよ」とか言って、食べ終わって帰ってった(笑)。だから普通に何かそれで成り立ってるっていうか、別にだからそこで――もちろん田舎だったっていうのはあるけども、盗まれるとか、そういう発想さえまだあまりないようなね――もちろんそれでも気をつけた方が良かったんだろうとは思うけど、あまりそういう発想しなくてもいいような時代だった。
で、アメリカとかのいろんな凶悪なニュースとかが入ってくると、「やっぱアメリカは怖いね」と。「わけわかんない事件ばっかりあるね」と。それが十年前くらいとかからポツポツと日本でも変な事件が現われ始めた。で、そういうのをさ、みんなもそうだろうけど、一個二個聞いたときって――ちょっとわたしもあんまり覚えてないけど、何か猟奇的殺人が十年ぐらい前から増えだしたよね? それ一個二個聞いたときっていうのは、すごい衝撃があった。「え! 日本でもそういうこと起きるの?」みたいな。例えば首だけを切って置いておく事件とか、何かいろいろあったよね。そういうの一個二個聞いたときは、「こんな邪悪なことが日本でも起きるようになってしまった!」と思ったけど、次の年、あるいは二年目、三年目と、年間いくつもそういうのが起きる。どんどんどんどんそういうのが増していく。つまりここ十年とか二十年だけを見ても、ちょっと日本、あるいは世界全体がおかしくなってきている。これはまあ、われわれの人生の中だけでも理解できるかもしれない。
こういう感じで現象だけを見てもね、非常に苦悩が多い、いろんな悪いことが起きるような時代になっていく――こういうことも言えるね。これがだから五つ目の堕落だね。
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