yoga school kailas

我が師(抜粋)(2)

 ついに、寺院で働くことは彼にとっては不可能になりました。彼はそこを去り、近くの小さな森に入ってそこで暮らしました。この時期について、彼は後にたびたび私に、日がいつ出ていつ沈むのか、自分はどのようにして生きているのか、自分には全くわからなかった、と話しました。彼は完全に自分のことを忘れ、食べることを忘れました。この期間中、一人の身内の者が愛深く彼を見守っていまして、この人が彼の口中に食物を入れ、彼はそれを機械的に飲み込んだのです。
 昼と夜がこのようにして過ぎました。一日が終わって夕方、聖堂の鐘の音と歌声が森に聞こえてくると、これは若者を深く悲しませました。彼は、
「また一日がむなしく過ぎた。それでもあなたはまだ来てくださらない。母よ、この短い人生のもう一日が過ぎたのに、私はまだ真理を知ることができません。」
と言って泣くのでした。魂の苦悩の中で、彼は時折地面に顔をこすりつけて泣きました。そこで発せられる祈りはただ一つ、
「どうぞ私にお姿を見せてください、あなた宇宙の母なる神よ! 私には他の何も要らず、ただあなたが必要なのだということをおわかりください!」
 真に彼は、自分の理想に忠実であろうと欲しました。彼は、母なる神は、一切のものを彼女に捧げきらなければ決して来てはくださらない、ということを聞いていました。母は誰のところにでも来たいと思っていらっしゃるのだが、人々は彼女を欲しがらない。彼らはあらゆる種類の愚かな小さな偶像に祈りたがり、母では無しに自分の快楽を欲しがっているのだ。彼らが他のものに振り向かず、心魂を傾けて真に彼女を求めるなら、その瞬間に彼女は来てくださるのだ、ということを聞いていました。そこで彼は、この理想の、身をもっての実戦を始めました。彼は、物質の面でも正確に実践したいと思いました。わずかの持ち物の全部を捨て、金銭には絶対に手を触れない、という誓いを立てました。

・・・中略・・・

 彼が思ったもう一つのことは、色欲はもう一つの敵だ、ということでした。人は魂です。魂に男女の区別はありません。性の観念と金の観念とが、自分が母を見ることを妨げる二つのものである、と彼は考えました。この全宇宙は母なる神のあらわれであり、彼女はあらゆる女性の身体に宿っておられます。
「あらゆる女性は母のあらわれだ。どうして女性を、性的な角度からのみ見ることができようか。」
 ――これが彼の思うところでした。あらゆる女性は彼の母だったのです。彼は自分を、あらゆる女性のうちに母しか見ない境地にまで持っていかなければなりません。そして彼は自分の生涯にそれを実行したのです。
 これは、人の心をつかむ恐ろしい渇望です。後年、この人自らが私にこう言いました。
「我が子よ、仮にある部屋に金貨の詰まった袋が置いてあり、その隣の部屋に盗賊がいるとせよ。おまえ、その盗賊が眠れると思うか? 眠れない。彼の心は、どのようにして隣の部屋に入り、あの金貨を我が物としようかと思い続けるだろう。それなら、人が、これらすべてのあらわれの背後には一つの実在がある、そこには神がいらっしゃる、決して死なない者が、無限の至福なる者が存在する、その至福に比べたらこれらの感覚の楽しみは単なるおもちゃに過ぎない、と聞かされたとき、それを得ようと努力もしないでのんびりとしていられると思うか? たとえ一瞬間でも、彼がその努力をやめることができるかね? いや、彼は渇望に狂気するだろう。」
 この神聖な狂気が、若者をとらえたのでした。
 当時、彼は師を持たず、何かを話して聞かせる人もなく、誰も彼もが、彼は気が狂ったのだと思っていました。これが世間普通のことなのです。もし人が世間の虚飾を捨てると、我々は、彼は気が狂った、と言われるのを聞きます。しかし、このような人こそが地の塩なのです。このような狂気から、我々のこの世界を動かした力は生まれました。そしてこのような力からのみ、世界を動かそうとする未来の力は生まれるでありましょう。
 このようにして日は、週は、月は、真理に到達しようとする不断の努力のうちに過ぎました。若者はヴィジョンを、素晴らしいものを見始めました。彼の本性の秘密が、彼の前に開かれはじめました。次々と、ヴェールが取り除かれて行きました。母なる神自らが師となって、若者が求めている真理へと彼を導き入れたのです。

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