勇者の道
傲慢さと習慣的なパターンが、ドララ(世界に内在する、あらゆる二元対立を超えた無条件の力と智慧)を経験する上での妨げになる。
この世界の中で魔法を見つけるには、自分自身を超えた大きな視野を持つことを妨げる、個人的な神経症と自己中心的な態度を克服しなければならない。
視界が曇らされている限り、自分自身を向上させることはできないし、他人を助けるために自分の力を十分に発揮することもできない。
世界の問題があまりにも差し迫っているので、個人の進歩よりも社会的・政治的な行動が優先されるべきだと考える人たちもいる。彼らは大目的を達成するためには自分の個人的な必要をすっかり犠牲にしなければならないと感じているのかもしれない。極端な場合には、この手の考え方は個人の神経症や攻撃性を、混乱した社会の副産物に過ぎないものとして正当化するので、人々は自分の神経症にしがみついていてもかまわないし、変化を引き起こすために自分の攻撃性を使っても良いのだとすら感じるようになる。
しかしながら、シャンバラの教えによれば、私たちは個人的な健全さの体験が理想的な人間社会のあり方と本質的に結びついていることを理解しなければいけない。だから一歩ずつ進んでいくしかない。自分の頭の中の混乱や攻撃性を克服せずに社会的な問題を解決しようとしたら、私たちの努力はそれを解決するどころか、基本的な問題をさらに増やす結果になってしまう。この世界を助けるという大きな問題に取り組む前に、個人として勇者の道を歩まねばならないのはそのためだ。
とはいえ、シャンバラの理念は他人への責任を投げ出して、単に自分を利するためにあると考えてはいけない。私たちは、この世界に本当に貢献することができる優しく思いやりのある人間になるためにこそ、勇者の道を歩むのだ。
勇者の道は、人間の生に本質的な善良さを見つけ出して、その基本的に善良な性質を他人と分かち合うことを目指している。私たちはこの世界に自然な秩序と調和を見つけ出すことができる。だが、その秩序を単に科学として学んだり、数学的に計算したりすることはできない。実際にそれを感じなければいけない――自分の直感で、ハートで、頭で。勇者の修行を十分に積めば、ドララの原理を呼び覚まして、実在との密接なつながりを再び目覚めさせることができる。
――チョギャム・トゥルンパ
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