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グル・バクティヨーガ 補遺(9)「グル・クリパー(グルの恩寵)を得る方法」④

 われわれは、弟子というものはどのような神聖なる性質を備えているのかを理解しなければならない。
 グル・クリパーはわれわれを最高の境地へと連れて行ってくれるのであるから、弟子は、その最高の境地、あるいはサチダーナンダとしてわれわれが悟るものを受け取るのに相応しい器になるのである。
 ゆえにまず第一に、われわれは、自分の今の状態は真の本質のものでなく、望ましくないものであり、取り除かなければならないものであるということを感じなければならない。そうしてのみ、われわれは平安、幸福を得るであろう。
 
この感覚を
どれほどの人が持っているか、熟考し、分析してみよう。
 われわれの現在の状態とは、ジーヴァ、肉と骨の苦しみの籠に捕らえられている魂のことを言う。
 どれほどの人が、自分は息苦しい籠の中にいて、自由に息もできず、心からその籠から脱走したいと思っているのだろうか?
 これを感じたら、われわれは弟子になろうとするだろう。
 そうして、われわれは自由なる者に近づくことができる。――なぜならば、グルは自由なる御方であり、同様にわれわれを解放してくださる御方であるからである。
 ジーヴァートマのこの苦しみ、この苦痛を感じたら、われわれはこの自由なる者のもとへと行き、こう祈る。

「おお、われわれをこの肉体から解放してください。」

 この祈りは、口には出されないかもしれないが、人生の瞬間瞬間に心の奥の底から唱えられなければならない。
 そうしてのみ、われわれはグル・クリパーを求めることができるのだ。

 しかし、そのようなものは暗黒のマーヤーの壁で覆われていて、われわれは完全に自分の境遇に満足してしまっているのだ!
 ムクティ、自由、高度な神的人生の神聖なる意識の必要性を感じ、われわれはサットサンガ、聖典学習を行い、われわれの心の眼の前に、この地上における人間の人生の悲惨さをありありと思い描くべきである。
 それらがムムクシュトヴァ(解脱への熱望)を生じさせる。
 グル・クリパーのことを考えるならば、ムムクシュトヴァ(解脱への熱望)はその第一のステップである。

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